国道239号・霧立防災と峠の歴史 後編

幌加内町側の改良過程

一般国道239号霧立峠が開通してから、およそ半世紀が経ちます。本稿では幌加内町側の歴史について記述します(苫前町側については未調査)。

添牛内から苫前までの道路開削を最初に働きかけたのは、1920(大正9)年苫前村長に就任した新保福治氏です。1928(昭和3)年には道費による着工へこぎつけます。けれども戦争により工事は中断され、戦後の1949年に再開されるも、財源不足で1951年に再び中断されます。

現在の道路法施行後、このルートは二級国道網走留萌線=現・一般国道239号=に指定されました。未開削区間があるにもかかわらず、1955年2月16日と18日の官報により全区間の区域の決定と供用が告示され、書類上は全線開通したことになっています。そのせいか、霧立峠開通の告示は見当たりません。

1949年に現在の苫前町・幌加内町・士別市で道路建設促進期成会を結成し、着工を要望し続けました。1955年2月と1959年9月実施された現地調査を経て、本格的な開削が始まったのは1960年度からです。

総工費約16億4,000万円を投じ、1965年7月17日に霧立峠は開通しました。開通式は苫前町古丹別で挙行され、関係者を乗せた車60台が添牛内へ向かいました。添牛内では五段雷で霧立峠を越えてきた先導の車を迎え、小学校鼓笛隊がマーチを演奏し、沿道の住民が小旗を振って祝いました。峠に近い深雪橋(橋長 14.62m)は1962年、涼風橋(橋長 8m)は1964年に完成しています。当時は砂利道であり、冬期間は通行止めでした。

その後10年間は士別-添牛内市街の改良・舗装が優先され、添牛内-霧立峠の改良本格化は1970年代後半に入ってからです。

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国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真A・1979年6月26日撮影。幌加内町添牛内の一般国道275号交点では、跨線橋が建設されていた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は1万5千分1。

改良工事は、深名線の踏切解消から始まりました。1976年度着工、1978年度に完成します。交差点も士別・幌加内両方向から2車線道路が分岐して合流する形式になりました(写真B)。なお通年通行の実現は1985年度、全線舗装化の達成は1987年度です。1990年にはチェーン着脱場が設置されました。

改良の過程を表にまとめます。

西暦年度事業費事業内容
19767,930万円添牛内市街の改良と舗装(400m)。跨線橋用地買収。
19779,300万円添牛内跨線橋と迂回路工事(450m)。
19782億2,100万円添牛内跨線橋完成。周辺の道路改良(572m)。
19792億5,400万円舗装工事(600m)。
19801億1,200万円都築の沢橋完成。霧立峠改良(1,000m)。
19811億4,300万円霧立峠改良(1,000m)。
19822億6,000万円霧立峠改良(960m)。
19832億4,770万円金山橋架け換え。霧立峠改良(1,010m)。
19844億3,600万円霧立峠改良(862m)、滝の上覆道下部工事。
19856億5,400万円滝の上覆道完成。添牛内舗装工事(5,614m)。
19861億3,000万円舗装工事(2,336m)。
1987不明霧立峠舗装工事(2,845m)。
表注
  • 峠に近い霧立覆道(179m)は1975年完成。
参考文献
  • 『新幌加内町史』(2008年3月31日発行)
  • 『広報ほろかない縮刷版(1951~1997)(幌加内町発行。1997年8月)