歌登町営軌道の旧線その2・長屋の沢へ

小頓別駅と市街地

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北見線(当時。のち天北線)小頓別駅上空の空中写真。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度を補正し、25%に縮小)。
写真イ。小頓別駅周辺(25%に縮小)。駅構内に積まれているのは木材だろうか。

小頓別を出た軌道は、最初の踏切で新旧ルートに分かれます。右へカーブする新ルートに対し、旧線跡は天北線(当時は北見線。以下「天北線」と表記)。に沿って左へカーブします。

小頓別は市街地が二分されており、学校があった西側を旧市街、駅前より東側が新市街と呼ばれています。

話は本筋から外れますが、筆者は1976年から1977年にかけて、小頓別小学校に在籍しておりました。集落の西端、国道の近くにあります。真冬に氷点下30℃くらいまで冷えようとも、たとえ猛吹雪に見舞われようとも、休校になりませんでした。教室の暖房は石炭ストーブを使用しており、用務員住宅はは廊下を通して学校とつながっていました。

写真1。2009年3月に閉校した小頓別小中学校。
写真1・旧小頓別小中学校。1966年建築の校舎で、手前側は1976年に増築したもの。教室にアスベストを使用していることが判明し、2005年10月に約3,000万円を投じて除去工事を施した。当時の生徒児童は15人で、山村留学制度を採用していた。2009年3月の閉校後は活用されないままとなっている。2008年5月12日撮影。撮影地 枝幸郡中頓別町字小頓別

現国道と交差する踏切跡

頓別川を渡る鉄橋跡と踏切跡(空中写真)。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真ロ。頓別川を渡る鉄橋跡と踏切跡。現在の一般国道275号と並行していた。

当時の国道は「地方費道旭川稚内線」という名称でした。地方費道とは、旧道路法における府県道と同格です。写真ロで天北線の右窓に広がる森林の一部が、国鉄の所有だったのは隠れた事実です。防風林的役割を担っていたのかもしれません。

頓別川を渡る橋の跡と踏切跡を拡大(空中写真)。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真ハ。写真ロから踏切跡を拡大。川を渡る橋は撤去されている。

長屋の沢

中頓別町字岩手の空中写真。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真ニ。写真ロ▲の続き(20%に縮小)。右カーブする旧線跡に並行する川が長屋の沢である。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真B・1977年9月25日撮影。写真ニ▲の約30年後。旧線跡の一部は道路に転用されている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・縮小。元画像の縮尺は1万5千分1。

写真Aの左上端で長屋の沢を渡る国道の篠田橋まいまいとぐるり 橋巡り~より)の銘版には、「長屋沢川」と表記されています。

写真イ・ロ・ハ・ニについて
  • この空中写真は、国土地理院長の承認を得て、米軍撮影の空中写真を複製したものである(承認番号 平20業複、第1078号)。
  • ※承認を得て作成した複製品を第三者がさらに複製する場合は、国土地理院長の承認が必要です。
参考文献
  • 北海道新聞(2005年10月7日付朝刊)
  • 『なかとんべつ町議会だより』(2005年11月18日発行)