歌登町営軌道の旧線その3・毛登別峠

難所・毛登別峠

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中頓別町字岩手・枝幸町歌登毛登別の空中写真。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真ホ。中頓別町と旧歌登町の境界にある毛登別峠(縮小表示)。線形に険しさがうかがえる。
5万分の1地形図「中頓別」(昭和29年測量)を約1.2倍に拡大。
図2。中頓別町字上頓別付近の地形図。右下に、歌登町営軌道の旧線跡が描かれている。現国道のルートが違う点にも注目したい。5万分の1地形図「中頓別」(1954年測量)を約1.2倍に拡大。画像のサイズは724ピクセル×300ピクセル。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真C・1977年10月20日撮影。写真ホ▲の約30年後。一部が道路に転用されたほか、わずかに痕跡が見える。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・合成・縮小。元画像の縮尺は1万5千分1。

北へ向かい、屈曲

急カーブで峠を越える旧線跡。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真ヘ。写真ホ▲の一部を2倍に拡大。急カーブ・急勾配で峠を越える。

今回の記事を書くまで、旧線は長屋の沢を渡った後は南東へ向きを変え、峠を越えていたと予想していましたが、筆者の見当違いでした。なぜ見当違いなのかは、次ページに書いています。

実際のルートは、左へカーブして長屋の沢沿いに北上し、360度向きを変える急カーブを描きながら勾配を登ります。山すそに沿ってカーブしながら峠を越え、写真を見る限りでは下る途中にも急勾配が介在していたようです。脆弱な路盤と軌道に急坂という条件が重なり、暴走事故が起きたものと考えられます。

興浜北線が休止していた頃は、この細き峠路が天北線と枝幸を結ぶ大動脈だったのです(注1▼)。

注1
戦争による資材供出のため、1944年11月1日よりレールを撤去。再開は1945年12月5日。
図2および写真ホ・ヘについて
  • この地図及び空中写真は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分1地形図、米軍撮影の空中写真を複製したものである(承認番号 平20業複、第1078号)。
  • ※承認を得て作成した複製品を第三者がさらに複製する場合は、国土地理院長の承認が必要です。