歌登町営軌道の旧線その5・毛登別トンネルと旧道

枝幸音威子府線の旧道

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歌登町営軌道・毛登別トンネルの空中写真。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真ヲ。開通間もない毛登別トンネル付近(20%に縮小)。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真E・1977年9月25日撮影。一般国道275号・道道枝幸音威子府線のルートが大きく異なる。枝幸音威子府線旧道の痕跡がかすかに見える。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・縮小。元画像の縮尺は1万5千分1。

写真ヲ▲で分かるように、1948年の枝幸音威子府線(当時の路線名は、準地方費道59号枝幸港小頓別停車場線)は分水嶺を越えると毛登別トンネルの南側に回り、写真ワ▼の毛登別へ向かう途中で踏切を渡ります。分岐点が小頓別市街寄りへ移動し、新導橋まいまいとぐるり 橋巡り~より。頓別川旧水路)・新栄橋(歌登町営軌道)を通る新ルートの建設は1960年代と思われますが、時期を特定する文献は未発見です。国道の旧道との分岐点付近を除き、道道の旧道は自然に還ったようです。

分水嶺から先、歌登中央の歌登咲来停車場線交点までは、1969年から1974年にかけて舗装されました。中でも毛登別と中央の間は、軌道の廃線跡を一部道道に転用しています。

これらの改良を示す告示はありません。というのも、枝幸音威子府線の起点から中頓別町字小頓別までの区域(ルート)が告示されたのは、1975年2月3日だったからです(下表)。区域が決定していなければ、区域の変更を告示できません。

1975年2月3日北海道告示第224号(道路の区域の決定)
区間敷地の幅員延長国道等との重複区間
枝幸郡枝幸町字下幌別5156番地先(一般国道238号交点)から
枝幸郡中頓別町字小頓別21番地先(道道浜頓別音威子府線交点)まで
10.75m から 47.50m まで31,993.71m

21世紀になって再び、枝幸音威子府線は毛登別トンネルの南側を通るルートへ変更されました。

毛登別トンネル経由の沿線

枝幸町歌登毛登別の空中写真。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真ワ。写真ヲ▲の続き。道道と交差する踏切があった(20%に縮小)。
枝幸町歌登毛登別の空中写真。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真カ。写真ワ▲の続き。毛登別の中心は近い(20%に縮小)。
枝幸町歌登毛登別の空中写真。昭和23年5月7日、米軍撮影(角度補正)。
写真タ。新線開通後、毛登別停留所は集落の中心へ移動した(50%に縮小)。

枝幸音威子府線本幌別上毛登別線が交わる地点は、集落の中心です。新線開通後、毛登別停留所がこちらへ移転したのは必然でしょう。写真タにも見える毛登別小中学校は、1985年3月に閉校しました。

写真ヲ・ワ・カ・タについて
  • この空中写真は、国土地理院長の承認を得て、米軍撮影の空中写真を複製したものである(承認番号 平20業複、第1078号)。
  • ※承認を得て作成した複製品を第三者がさらに複製する場合は、国土地理院長の承認が必要です。

毛登別と上毛登別

枝幸村に属していた1909(明治42)年から、旧歌登町の全域が大字歌登村に含まれていました。1939(昭和14)年9月1日の分村後も大字は継承され、1981年9月1日に字名改正を実施するまで存続されました。毛登別の一部を字上毛登別、中央の一部を字下毛登別と呼称していたことが、1972年3月31日本幌別上毛登別線を認定する際、路線名に採用されたと思われます。

2006年3月20日に歌登町は再び枝幸町の一部となり、旧歌登町の各町名に「歌登」が冠されました。

参考文献
  • 『歌登町史』(1980年11月発行)
  • 1981年8月17日北海道告示第1800号(町の区域の画定及び字の区域の廃止の届出)