瑞穂安平停車場線・後編

ダム建設と道道の起点

写真Aについて
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写真A・瑞穂ダム周辺。赤・紫・黄色は旧道道。赤色はダム建設前からのルートで今なお通行可能。紫色はダム建設時、一時的に切り替えられたルートで水没していない部分。黄色は水没した旧起点付近。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 初期画面を表示

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5万分の1地形図「追分」(昭和59年修正)を約2.1倍に拡大。
図1。支安平川に沿って水田が開けていた。5万分1地形図「追分」(1984年修正)を約2.1倍に拡大。
5万分の1地形図「追分」(平成6年修正)を約2.1倍に拡大。
図2。貯水が始まり、水田はダム湖に沈んだ。5万分1地形図「追分」(1994年修正)を約2.1倍に拡大。

安平川支流の支安平川流域に用水を供給、周辺の畑地の灌漑を目的に、瑞穂ダムは建設された。1982年着工、16年を費やし1998年に完成している。引き換えに、瑞穂地区最奥部の水田と畑が消えた。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真B・支安平川上流に広がる水田と畑地。路面の色が濃い茶から薄い茶に変わる地点が、道道瑞穂安平停車場線の旧起点である。1975年9月29日撮影。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は8千分1。

かつての瑞穂安平停車場線は終始、支安平川右岸を通って瑞穂地区を抜けていた。ダム建設の進捗に伴って、ルートは段階的に切り替えられる。

本体着手に先立って1989年度、仮排水路が堤体予定地上流手前に設置された。道道の敷地を横切るため、まずこの部分が切り替えられた。下表が該当の告示である。「瑞穂604番3地先」は新旧ルートの分岐点にあたり、交差点はデルタ型に改良されている。

1989年10月5日北海道告示第1556号(道路の区域の変更及び供用の開始)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
勇払郡早来町字瑞穂572番6地先から 勇払郡早来町字瑞穂604番3地先まで12.00m から 20.00m まで1,022.97m
同上7.20m から 83.50m まで1,571.47m
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真C・1982年6月11日撮影。着工を控えた瑞穂ダム予定地の周辺。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・角度を補正し、約36.1%に縮小。元画像の縮尺は2万分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真D・1992年6月28日撮影。道道瑞穂安平停車場線の現ルートはほぼ完成、町道の瑞穂大橋まで到達している。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、約40%に縮小。元画像の縮尺は2万5千分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真E。写真Dから堤体周辺を拡大。一時的に切り替えられたルートが確認できる。池状の水たまりから堤体へ伸びるのが仮排水路。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。

ダム堤体に通じる旧道道は、写真A▲の赤で示した部分を除いて付け替えられた。旧道道を活かした区間は、昔の面影を残している。

新ルートは支安平川に新設された更生橋を渡ると、ダム堤体の左岸側へアプローチする。冬期通行止めとなる瑞穂ゲートの手前に、貯水池へ向かって下る砂利道がある。最初に切り替えられたルートの名残だ。貯水池に沈んだ後は左にカーブ、管渠が設けられたあたりで右へ曲がり、仮排水路を瑞穂橋で渡っていた。橋長 13.56m、幅員 7.2m で、試験湛水を始めた1996年4月までの、わずか7~8年しか使用されなかった幻の橋である。

瑞穂橋を渡った先のT字路「瑞穂572番6地先」で、旧道に合流していた。

堤体盛土は1992年度に完了し、同年度末に二度目のルート切り替えが実施され、起点が現在地へ変更された。下表が該当の告示である。「瑞穂483番1地先」は、ダム堤体左岸付近にあたる。

1993年3月26日北海道告示第428号(道路の区域の変更及び供用の開始)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
勇払郡早来町字瑞穂554番1地先から 勇払郡早来町字瑞穂483番1地先まで6.00m から 83.50m まで1,843.50m
勇払郡早来町字瑞穂475番1地先から 勇払郡早来町字瑞穂483番1地先まで6.00m から 82.00m まで1,560.00m

付け替え道路には上流から順に、瑞穂大橋・水明橋・鳥取橋が架けられた。このうち、水明橋と鳥取橋が瑞穂安平停車場線に含まれる。

瑞穂地区は1893(明治26)年、鉄道工事の測量人夫で岩見沢に移り住んでいた鳥取県出身の布広杢太郎が入植し、水田を開いたのに始まる。その後1896(明治29)年にかけて、岩見沢に移住していた鳥取県人が次々と入植し、礎を築いた。鳥取橋(1989年完成、橋長 83.5m、幅員 6.0m)は、こうした歴史にちなんだ命名であろう。

貯水池左岸を遡り、水明橋(1990年完成、橋長 99.3m、幅員 6.0m)より 80m 上流に進んだ場所が起点である。その先は安平町道瑞穂林道2号線へ変わる。貯水池を渡る瑞穂大橋(橋長 170.5m、幅員 6.0m)は、『安平町橋梁長寿命化修繕計画』によれば2001年架設となっている。実際は1992年に完成しており、図2や写真D・写真Fにその姿が認められる。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真F・1996年9月12日撮影。本体建設が完了し、試験湛水を始めた瑞穂ダム。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・角度を補正し、約40%に縮小。元画像の縮尺は2万5千分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真G・2004年9月15日撮影。完成後の瑞穂ダム。水没する旧道道が見える。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、約46.5%に縮小。元画像の縮尺は3万分1。
5万分の1地形図「早来」(昭和28年第2回測量)を約1.5倍に拡大。
図3。かつて瑞穂地区は、主に支安平(シアビラ・シアピラ)と称していた。アイヌ語で、安平川の本流を表すという。先に支安平が開け、1902(明治35)年に鉄道が開通後、安平駅周辺が発展していった。5万分1地形図「早来」(1953年第2回測量)を約1.5倍に拡大。
2万5千分の1地形図「早来」(平成5年修正測量)を約1.5倍に拡大。
図4。瑞穂地区の中心部。学校の記号は旧・瑞穂小学校で1990年3月31日に閉校、校舎はみずほ館として活用されている。1900(明治33)年の開校時は鳥取尋常小学校と称した。2万5千分1地形図「早来」(1993年修正測量)を約1.5倍に拡大。

支安平と呼ばれていた支安平川流域は、1957年2月1日に瑞穂と地名を改めた。表1は、同年1月1日の北海道告示第14号(町の字の区域の廃止並びに字の区域の新設)より瑞穂に関係する箇所を抜粋した。由来は、旧早来町の水田発祥の地であることによる。2006年3月27日の早来・追分両町の合併に伴い、現在の「早来瑞穂」となった。

表1 早来町字瑞穂の新設
字の名称従来の名称従来の区域
字瑞穂支安平、シアビラ、シアヒラ、ニタッポロ、国有地各字の一部
シアピラ、シュンベ各字の全部

安平町のルーツは、1900年に植苗村の追分地区と勇払村の早来地区が合併して成立した安平村である。1952年8月1日に追分地区が独立して追分村となり、翌1953年10月1日に町制を施行した。一方、早来地区は1954年10月1日に安平村から早来村へ改め、1957年1月1日に町制を施行している。平成の大合併で再び一つの自治体となり、今に至る。

2019年4月下旬・doradounaiさん撮影。終点(勇払郡安平町安平50番地先)から瑞穂ゲートまで。付け替えルートは7分45秒過ぎから。

参考文献