下頓別駅跡・1993春の情景

整備前の駅跡と木材工場

本文画像に関する注意事項を表示 本文画像に関する注意事項を隠す
  • 写真+数字(写真1、写真2…)
    • PCの場合、クリックすると拡大表示します。
    • タブレット端末・スマートフォンの場合、写真全体を表示します。デバイスの表示サイズにより、拡大されたり縮小されたりします。
    • いずれのデバイスでも、写真の下部に簡単な説明を表示します。
    • 右上部のバツ印、または画面の適当な場所をクリックすると、元に戻ります。
    • クリックしても拡大されない写真は、その点を注記します。
  • 写真+アルファベット(写真A、写真B…)
    • クリックしても、画像は拡大されません。
    • 倍率は、PCで表示した場合を基準としています。PC以外のデバイスでは縮小され、記述の倍率と異なります。
  • 地形図
    • 倍率は、PCで表示した場合を基準としています。
    • タブレット端末やスマートフォンでは、横幅が 400px を下回る場合に記述の倍率と異なります。
    • 横または縦の長さが 400px を超える地形図の場合、サイズを記述します。最大長のサイズを下回るデバイスでは縮小され、記述の倍率と異なります。
写真1。旧下頓別駅ホームから浜頓別方向を見る。
写真1。旧下頓別駅ホームから浜頓別方向を見る。まだ住宅や道路は建設されていなかった。1993年5月2日撮影。撮影地 枝幸郡浜頓別町字頓別原野

写真1のホーム先端から、ほぼ同じアングルのストリートビュー。駅舎跡地から浜頓別方向の路盤は道路となり、住宅も建ち当時の面影はない。2014年7月撮影。

筆者が旧JR天北線・下頓別駅跡を訪れたのは、1993年5月の肌寒い日である。廃線からちょうど4年が経過していた。

木造駅舎は既に取り壊されており、ホームと錆の進行した駅名標が残っていた。笹が繁殖し、夏草が生い茂る時季には訪問しにくいと思わせる。ホームの浜頓別寄りには使われなくなった電信柱が積まれてあった。

当時は廃線跡の旧下り線がクッキリ残り、旧上り線ホームのあった場所は草地が広がるばかりだった。撮影した1993年度から駅跡周辺に平屋の住宅4戸の下頓別団地が造成され、一般住宅も建てられ町道が通り、景観は一変している。

またホームの向かい側に「下頓別みんなの公園」が整備され、ホーム周辺も整地されている。廃線後ながら、写真は過去の風景となった。

写真2。旧下頓別駅の駅名標。
写真2。廃線から4年、かなり錆び付いてきた駅名標。現在の保存状態と異なる。1993年5月2日撮影。撮影地 枝幸郡浜頓別町字頓別原野
写真3。旧下頓別駅ホームから音威子府方向を見る。
写真3。旧下頓別駅構内から音威子府方向を見る。ホーム手前には電柱が積まれていた。遠景に積まれた丸太が見える、木材工場は既にない。1993年5月2日撮影。撮影地 枝幸郡浜頓別町字頓別原野

ネットを検索したところ、1998年5月撮影の駅名標がより錆びているのに対し、1999年9月撮影の駅名標は新しくなっている。この間に更新されたとみてよいだろう。

写真3の左手に遠望する建物は、西尾木材(本社・札幌市)の工場で、1947年5月に進出した。浜頓別町のサイト・浜頓別町の歴史によると、大正7年(1918年)に西尾英蔵が下頓別に木材工場を創設したとある。同じ「西尾」だが関連性はわからない。製材の7割は大成建設に納められた。やがて、外国から木材が輸入される時代になると、地理的条件が悪い下頓別工場は不採算となった。1970年建設の苫小牧工場に集約させ、下頓別工場の閉鎖・撤退の方針を決めたのは1993年12月である。

下頓別に勤める社員25人に伝えられたのは1995年6月で、同年12月に閉鎖された。会社側は下頓別の社員を苫小牧や札幌に配転させる予定だったが、多くの社員が家庭の事情で地元に残ることを希望した。希望者自身はもとより西尾木材でも就職先を探し、全員が再就職できたという。

工場跡は更地化され、町有地となった。2015年から2016年にかけ、工場跡を含む下頓別の2か所に太陽光発電所が建設され、稼働している。

宗谷南部は木材搬出が盛んで、天北線の音威子府-浜頓別に限ると、小頓別・中頓別・下頓別・浜頓別の各駅に木材会社の専用線が引かれていた。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真A・1977年9月25日撮影。下頓別駅の上りホームは浜頓別寄りにあり、いわゆる千鳥配置である。西尾木材への専用線が引かれている。下頓別駅の貨物取り扱いは1982年5月限りで廃止、同時に無人化された。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・50%に縮小。元画像の縮尺は1万分1。

豊牛下頓別停車場線と国道交点

5万分の1地形図「浜頓別」(昭和56年修正)を約2.3倍に拡大。
図1・天北線廃止前。5万分の1地形図「浜頓別」(1981年修正)を約2.3倍に拡大。
2万5千分の1地形図「下頓別」(平成4年部分修正測量)を約2.1倍に拡大。
図2・天北線廃止後。工場の記号が見える。鉄路が消えた後も、豊牛下頓別停車場線のルートはしばらく変わらなかった。2万5千分の1地形図「下頓別」(1992年部分修正測量)を約2.1倍に拡大。
写真Bについて
  • ズームアウトは初期画面より1段階まで。
  • A地点の位置は推定です。
  • ストリートビュー表示から地図・航空写真・ラベル表示へ変えるには、表示枠左上の「←」または「初期画面を表示」をクリックします。

写真B・下頓別市街の航空写真。木材工場跡は太陽光発電所に変わった。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 木材工場跡のストリートビューを見る初期画面を表示

豊牛下頓別停車場線は旧国鉄興浜北線豊牛駅そばの一般国道238号交点を起点に、枝幸山地の北端を横切り、下頓別へ抜ける 12km あまりの路線である。

酪農地帯を走り、丘陵のアップダウンから頓別川下流の平野が展望できる。ウソタンナイ砂金採掘公園にも近く、2015年度から宗谷シーニックバイウェイの一部に指定され、「はまとんべつゴールドラッシュロード」の愛称が付けられた。

JR天北線が走っていた時代、豊牛下頓別停車場線は線路の手前で直角に右折、西尾木材の工場前で左へ急カーブ、踏切を渡り一般国道275号と合流していた。

国道交点直前のカーブをなくし、真っすぐに国道と交差するよう改められたのは、天北線が消えて10年ほど経過してからである。

関連する告示(道道豊牛下頓別停車場線)

2000年1月11日北海道告示第33号(道路の区域の変更及び供用の開始)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
枝幸郡浜頓別町字頓別原野2295番28地先から
枝幸郡浜頓別町字頓別原野4249番地先(一般国道275号交点)まで
17.70m から 44.00m まで397.80m一般国道275号重複 L = 22.60m
枝幸郡浜頓別町字頓別原野2295番28地先から
枝幸郡浜頓別町字頓別原野4248番1地先(一般国道275号交点)まで
21.20m から 29.50m まで189.28m一般国道275号重複 L = 13.36m
告示注
  • 国道交点を現在地へ変更した。
  • 登記上の地番は「字下頓別」でなく、開拓時をしのばせる「字頓別原野」が今なお使用されている。
参考文献