移りゆく要衝・網走 中編

網走港線代々と本通

図1について
  • ズームアウトは、初期画面より3段階まで。

図1・網走市中心部の地図。赤色と紫色の線は一般国道244号の旧ルート、青色は道道網走停車場線の旧ルート、緑色は道道中園網走停車場線の旧ルート、茶色は道道大観山公園線の旧ルート。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 広域表示初期画面へ

南中央通・二代目網走港線

南2条東1丁目から南5条東6丁目までの整備は大幅に遅れ、1990年代に入ってからであった。調査不足もあり、本稿では簡単な経過を記すにとどめる。

表2 道道網走港線の供用過程
年月日等できごと
1988年3月31日網走港線を道道に認定。全区間が南中央通に含まれる。
1989年7月南中央通線の計画説明会が行われた
1989年8月21日南中央通最終計画決定(線形を変更)。
1994年2月1日南2条東1丁目-南2条東2丁目・東3丁目交差点の供用を開始。
1996年12月27日南2条東2丁目・東3丁目交差点-南3条東3丁目・東4丁目交差点の供用を開始。
1997年2月28日南3条東3丁目・東4丁目交差点-南5条東6丁目の供用を開始、全線4車線化で開通。

網走港線全区間の区域を定めた告示は次のとおり。

1991年7月2日北海道告示第1039号(道路の区域の決定)
区間敷地の幅員延長国道等との重複区間
網走市南5条東6丁目12番地先から
網走市南2条東1丁目7番2地先(一般国道39号交点)まで
25.00m から 32.00m まで845.00m一般国道39号重複 L = 9.19m
告示注
  • 起点は一般国道244号交点だが、同線との重複区間は存在しない。国道敷地との境界から道道が始まっている。
  • 南中央通建設に伴い、市道南4条通線は南4条東4丁目で終点を変更し、一部廃道となった。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真C・1992年6月24日撮影。改良前の道道網走港線。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・角度を補正し縮小。元画像の縮尺は2万5千分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真D・1997年7月14日撮影、完成間もない道道網走港線。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、約82%に縮小。元画像の縮尺は3万分1。

本通・釧路街道

ところで、網走港線は二代目である。初代は1963年に廃止された。

認定の告示は次のとおり。

1957年3月31日北海道告示第1487号(道道の路線の認定)
整理番号路線名起点終点重要な経過地道路法該当号
276網走港線網走港 網走市1級国道39号線交点 網走市南4条東4丁目

終点の位置に誤りがある。「1級国道39号線交点」なら南4条東1丁目であろうし、「南4条東4丁目」なら2級国道網走斜里根室線(244号)交点となる。

南4条東4丁目で国道と接続していたのは確かだろう。というのも、指定当初の一般国道244号のルートは現在と違い、図1▲の紫色、本通経由だったからである。

初代の網走港線が6年余りの短命に終わったのは、国道のルート切り替えにより、ほぼ完全に重複したからではないか。ただし、あくまで仮説の域を出ない。

二級国道網走斜里根室線の告示

1957年1月22日建設省告示第10号(道路の区域の変更)
区間変更前後別敷地の幅員延長
網走市南4条東3丁目から 同市字鱒浦21番まで旧A14.54m ~ 21.82m4,139.39m
同上新A14.54m ~ 21.82m4,139.39m
同上新B14.54m ~ 14.54m4,867.42m
備考上記A及びBは、関係図面に表示する敷地の区分をいう。
二級国道の告示に関する注
一部、原文と異なる箇所があります。引用に際し、表記の統一性や読みやすさを考慮して変更しました。
  • 延長の単位を、小数点以下が5桁になるキロメートルから2桁のメートルにした。
  • 敷地の区分を表す「A・B」の別は記載されておらず、加筆した。
  • 1959年6月8日建設省告示第1150号の備考欄に「ダブルウェイ」の表記がある。
1959年6月8日建設省告示第1150号(道路の区域の変更)
区間変更前後別敷地の幅員延長
網走市南4条東3丁目から 同市字鱒浦21番まで旧A14.54m ~ 21.82m4,139.39m
同上旧B14.54m ~ 14.54m4,867.42m
同上新B14.54m ~ 58.00m4,915.82m
備考上記A及びBは、関係図面に表示する敷地の区分をいう。
1959年6月8日建設省告示第1151号(道路の供用の開始)
区間供用開始の期日
網走市南4条東3丁目から 同市字鱒浦21番まで昭和34年6月8日

本通は釧路街道と呼ばれ、囚人の手によって網走と釧路の間を開削した。「網走歴史散歩」の釧路街道起点跡に詳しい。

読んで特筆すべきは図1▲のI地点付近が道路元標所在地だった点である(道路元標とは▼を参照)。1920年3月24日北海道庁告示第220号によると、当時の網走町元標は「北見国網走郡網走町大字北見町中通三丁目二十四番地先」に設置されたとある(注1▼)。網走に連絡する地方費道は、ここを起終点としたに違いない。つまり、網走における要衝の元祖と言えよう。

なお「網走港線」は旧道路法時代にも存在した。1920年3月24日北海道庁告示第241号によれば、地方費道22号に認定されている。本サイトは現行道路法を基準にするため代数に含めないが、実際は43年続いていた道道となる。

南4条東3丁目にある釧路街道起点跡の標柱。道路の歴史と役割が記されている。現在の路線名は市道東4丁目通線。2015年7月撮影のストリートビュー。

本通は市道移管後に整備され、鱒浦の一般国道244号交点付近を除き4車線化された。JR釧網本線と交差する鱒浦隧道踏切は、国土交通省が2007年4月に公表した緊急対策リストにリストアップされ、歩道の狭さが指摘された。図1▲の航空写真では対策が施されている。

注1
  • 網走町は1947年2月11日に市制施行。その際に東藻琴村を分離。東藻琴村は2006年3月31日、女満別町と合併して大空町になる。
  • 大字北見町(きたみまち)は現在の南1条~南11条で、計画的に市街地が形成され、網走の中枢として発展した。小字は北通・中通・南通の各1丁目~9丁目があり、現在の南4条には商店街や金融機関が集まっている。1902(明治35)年4月1日、北見町ほか4町村合併で網走町が成立した際に大字北見町となり、現行の条丁目になったのは1926(大正15)年1月1日。
  • 網走歴史散歩によると「中通1丁目」は現在の南4条東6丁目で、西に向かって2丁目・3丁目…の順に続いていたと考えられる。
  • 「北見町」の地名は、北見国の拠点地だったことに由来する。

道路元標とは

本稿の「道路元標」は、旧道路法で規定された道標を指す。

大正8(1919)年4月10日法律第58号(旧道路法)により、道路の付属物として定められた。
さらに大正8年11月4日勅令第460号(旧道路法施行令)で、起終点の位置とすることや設置基準を定めている。

なお大正15(1926)年6月30日勅令第241号大正15(1926)年6月30日勅令第241号で、「第二十三條 北海道二於テ支廳ノ所在地ヲ地方費道ノ路線ノ起點終點ト爲ストキハ市町村二於ケル道路元標ノ位置二依ルヘシ(以下省略)」が追加され、翌7月1日より施行された。地方費道の起終点が支庁所在地の場合、道路元標の位置とする規定である。

道路元標の様式は、大正11(1922)年8月18日内務省令第20号により定められた。
備考

別記様式の図は省略するが、大きさは縦横各 25cm・高さ 55cmで、頂部は半円形で高さ5cm、表面に「○○市町村道路元標」と記すよう規定されている。

改めて釧路街道起点跡を見ると、網走町道路元標は人の背丈より二倍ほど大きかったようで、第四条の「特別の事由ある場合」に該当する。

現行の道路法では、第二条第2項第二号で「道路の構造の保全、安全かつ円滑な道路の交通の確保その他道路の管理上必要な施設又は工作物」と規定されているものの、起終点や様式に関する規定はなく、道路法施行規則第四条の二第4項で図面に記載して調製するとのみ規定されている。