錦岡の国道36号と道道・後編

鉄北の大動脈・双葉三条通

苫小牧環状線は、苫小牧港(西港)の石油配分基地を起点に、苫小牧市を東西に横断する路線です。「環状線」を名乗るものの、一周はできません。

実延長区間は、次の都市計画道路で構成されています。

  1. 臨海南通:起点→旧一般国道235号交点。2車線。一部4車線。
  2. 勇払沼ノ端通:旧一般国道235号交点→一般国道234号交点。2車線。
  3. 臨海東通:上厚真苫小牧線交点→一般国道36号交点。4車線。
  4. 明野北通:一般国道36号交点→同276号交点。6車線。
  5. 双葉三条通:一般国道276号交点→終点。6車線。一部4車線。 双葉三条通起点付近の地図▼

中でも双葉三条通は地元の知名度が高く、苫小牧環状線の代名詞といっていいでしょう。JR室蘭本線を境に、南の幹線である一般国道36号と並ぶ北の幹線です。2005年度の交通量は北光町4丁目の6車線区間で約30,000台に達し、札幌市以外の道道では最多でした。

苫小牧環状線苫小牧港線を母体とし、苫小牧市道明野樽前線が昇格した路線です。1980年代半ばにかけ、精力的な整備を行いました。市街地拡張を象徴する道であり、沼ノ端から錦岡までが一体化しました。現・樽前錦岡線交点までは、1985年に現在の姿となっています。

図1について
  • ズームアウトは初期画面より2段階まで。
  • 赤の線と青で囲んだ区域は、地図とラベルで表示されます。

図1・錦岡地区の地図。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 初期画面へ

苫小牧市長の施政方針を参考に、整備内容を表にまとめました。名称は現在のものにしてあります。

年度整備内容
1972約 3km を舗装。
1973明野・糸井地区舗装。
1974明野・糸井地区舗装。勇払地区の市道を昇格し舗装。
1975沼ノ端・明野地区の未舗装区間整備。糸井地区の街路照明設置と植樹。
1976勇払・沼ノ端地区の舗装。街路照明設置と植樹。
1977勇払・糸井地区舗装。
1978勇払・糸井地区舗装。
1979真砂町で拡幅。糸井地区および、ときわ町-樽前錦岡線交点までの路盤造成と舗装。
1980ときわ町-樽前錦岡線交点までの路盤造成と舗装。
1981ときわ町-樽前錦岡線交点までの舗装。
1982花園町で4車線を6車線に拡幅。1983年度までの対象は図1▲の赤い線で表示した区間。樽前錦岡線交点-青雲町1丁目の用地取得。
1983桜木町・しらかば町で4車線を6車線へ拡幅。樽前錦岡線交点-青雲町1丁目の路盤造成。
1984樽前錦岡線交点-青雲町1丁目の改良工事。錦大橋完成。

6車線化した区間はあらかじめ幅員を確保し、支障なく拡幅できました。全般に中央分離帯が広く、植樹された区間が多いのも特徴です。

2005年に開通の臨海東通アンダーパスは国道234号の記事をご参照ください。

苫小牧環状線の終点

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認定時

認定時の終点位置は、図1▲のC地点、明徳町1丁目と青雲町1丁目・2丁目交差点です。

半端な場所に見えるでしょうが、当時は道道交点でした。詳細は前編に書いています。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真A・1975年10月1日撮影。当時、のぞみ町・美原町一帯は未整備だった。双葉三条通延伸を想定し、中心線が引かれてある。右上を斜めに通っている道路が、双葉三条通の開通まで代用されていた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、40%に縮小。元画像の縮尺は8千分1。
2万5千分の1地形図「錦岡」(昭和61年修正測量)と2万5千分の1地形図「苫小牧」(昭和58年修正測量)を約1.3倍に拡大。
図2。1980年代中ごろ。樽前錦岡線交点以西は未着工。左側3分の1は開通後に発行されたため、錦多峰川を渡る錦大橋が描かれている。暫定2車線で、旧橋も残っていた。高校の周囲は依然として荒地だ。2万5千分1地形図「錦岡」(1986年修正測量)と2万5千分1地形図「苫小牧」(1983年修正測量)を約1.3倍に拡大。
2万5千分の1地形図「錦岡」(平成3年修正測量)と2万5千分の1地形図「苫小牧」(平成3年修正測量)を約1.3倍に拡大。
図3。1990年代初め。周辺一帯の「苫小牧市錦岡鉄北第一区画整理事業」が実施されたのは、1984年度~1993年度である。街路が整備され、家屋も建ち始めた。2万5千分1地形図「錦岡」(1991年修正測量)と2万5千分1地形図「苫小牧」(1991年修正測量)を約1.3倍に拡大。
2万5千分の1地形図「錦岡」(平成18年更新)を約1.3倍に拡大。
図4。一帯の宅地化が進み、中学校も開校した。水路が移設されている。「スケート場」の表記がある施設は錦岡スポーツセンターとして1980年1月18日に開設され、1990年9月1日より「ときわスケートセンター」へ名称を改めた。2万5千分1地形図「錦岡」(2006年更新)を約1.3倍に拡大。

樽前錦岡線交点から図1▲のC地点までは、暫定2車線で開通しました。錦多峰川に架かる錦大橋(仮称・錦岡2号橋)は、起点方向車線→終点方向車線の順で架設されています。

かつて錦大橋の南には、1975年度に竣工した幅員 5m の旧橋がありました。1983年12月に起点方向車線の橋が架設された後も、並行して残っていたのを実際に見ています。重量制限があったような気がします。撤去時期は覚えていません。終点方向車線の橋は、1989年10月竣工です。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真B・1981年10月27日撮影。双葉三条通の延伸工事に着手し始めた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、角度を補正。縮尺は2万分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真C・1985年6月24日撮影。新旧の錦大橋が並行している。苫小牧南高校校舎は増築された。当時は1学年最大10クラスあり、生徒数は1,000人を超えていた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万分1。
写真1。北海道苫小牧南高等学校。
写真1。苫小牧南高等学校。現在地へ移転した1978年当時は周囲に何もなく、筆者が通学した1980年代半ばでも状況に大きな変化はなかった。現在は商業施設や住宅に囲まれ、昔日が嘘のようである。2010年11月13日撮影。撮影地 苫小牧市のぞみ町2丁目
写真2。錦大橋。
写真2。錦多峰川を渡る錦大橋。「錦岡2号橋」が橋梁現況調書の橋名で、錦岡2号橋と記した公的図面もある。苫小牧環状線の橋梁標識は、中央分離帯の街路灯に設置してある。両方向に歩道あり。2010年11月13日撮影。撮影地 苫小牧市青雲町1丁目
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真D・1991年6月26日撮影。改良工事中の苫小牧環状線。ルート途中に見える円形の道路がバス転回所。使用されたのは、錦岡バス停新設から錦西営業所開設までの10年足らずに過ぎない。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万5千分1。
2万5千分の1地形図「錦岡」(昭和61年修正測量)を約1.3倍に拡大。
図5。1980年代半ばまで、錦岡駅北側は昔日の風景が色濃かった。北へ向かう錦岡停車場通は、閉鎖されたジョイランド樽前へ通じるメインルートであった。2万5千分1地形図「錦岡」(1986年修正測量)を約1.3倍に拡大。
2万5千分の1地形図「錦岡」(平成3年修正測量)を約1.3倍に拡大。
図6。区画整理事業が進められ、錦岡川も改修された。錦岡停車場通が拡幅された一方、双葉三条通は未改良区間を残す。2万5千分1地形図「錦岡」(1991年修正測量)を約1.3倍に拡大。
2万5千分の1地形図「錦岡」(平成18年更新)を約1.3倍に拡大。
図7。区画整理が完了し、南北に分かれていた錦岡市街は一体化している。2万5千分1地形図「錦岡」(2006年更新)を約1.3倍に拡大。
写真3。バス転回所跡。
写真3。かつてバス転回所があったあたり。セブンイレブン西隣の使われていない建物は、ツルハドラッグの旧店舗である。沿線に進出した商業施設の中には、空き店舗も散見された。2010年11月13日撮影。撮影地 苫小牧市青雲町3丁目
写真4。錦岡川と樽前山。
写真4。これだけ雲がかかっていながら、樽前山の頂上が見えるのは珍しい。改修された錦岡川を中錦岡橋より撮影。2010年11月13日撮影。撮影地 苫小牧市明徳町2丁目

1980年代後半、旧終点より先は4車線ありましたが未舗装で、T地点で終点方向車線へ狭まり2車線になっていました。P地点には、バス転回所があったのです。 付近を航空写真で拡大する▲

苫小牧駒澤大学前や錦大沼公園のアルテン前まで運行する道南バス・鉄北北口線は、かつてS地点の錦岡バス停(現・青雲2丁目バス停)が終点でした。草地に囲まれた転回所で、折り返し便発車をしばし待つバスは、のどかな光景でした。当時の状況に近いのが写真Dです。

バス転回所は、新しい錦大橋が開通してから錦西営業所が開設されるまで、短命に終わりました。6年ほどでしょうか。地元住民の記憶にも、さほど刻まれていないかもしれません。

錦岡川は錦多峰川水系の準用河川で苫小牧市が管理し、2級河川の規定が準用されます。区画整理に合わせ、洪水対策で現在の姿になりました。

中錦岡橋は1993年10月に完成しました。舗装工事などを行い、青雲町・宮前町地区の事業は1995年頃に完了したようです。

その先、苫小牧駒澤大学付近までは錦西ニュータウンとして、1978年度から宅地開発されました。当時の流れである職住分離策に沿った分譲は伸び悩みます。交通の不便な点が大きな要因でした。1988年12月7日改正の苫小牧市営バス時刻表によると、錦西ニュータウンを経由するバスは1日5往復に過ぎません。近年は職住近接策が採られており、沼ノ端地区の人口急増がそれを物語っています。

1990年に市営バスの錦西営業所が開設され、バスの本数は飛躍的に増えました。大学開学もあって、周辺の住宅は以前よりも増えています。将来を見越して苫小牧環状線は4車線で建設されました。区間内唯一の橋梁・緑水橋は1980年完成です。

現在

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真E・先行着手された区間を除き、苫小牧環状線は道自体がない。1981年10月27日撮影。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、角度を補正。縮尺は2万分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真F・錦大沼へ通じる覚生川通まで、道路がつながった。1985年6月24日撮影。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万分1。
2万5千分の1地形図「錦岡」(昭和61年修正測量)を約1.3倍に拡大。
図8。4車線化が先行した区間は、錦西ニュータウンとして1978年度から造成された。2万5千分1地形図「錦岡」(1986年修正測量)を約1.3倍に拡大。
2万5千分の1地形図「錦岡」(平成10年部分修正測量)を約1.3倍に拡大。
図9。苫小牧駒澤大学の開学は1998年である。この頃から、周辺の宅地化が進み始めた。2万5千分1地形図「錦岡」(1998年部分修正測量)を約1.3倍に拡大。
2万5千分の1地形図「錦岡」(平成18年更新)を約1.3倍に拡大。
図10。苫小牧駒澤大学から終点までは、最後に4車線化された区間である。錦大沼公園や苫小牧アルテンを結ぶ覚生川通(おぼっぷがわどおり)も4車線化された。2万5千分1地形図「錦岡」(2006年更新)を約1.3倍に拡大。
写真4。道道苫小牧環状線終点。
写真4。苫小牧環状線の終点。起点方向の車線が増設された。市道と道道は重複しない。2010年11月13日撮影。撮影地 苫小牧市字錦岡
写真5。道路情報板と標識。
写真5。縦型の道道標識を併設した道路情報板。前方に緑色の欄干が見えるが、橋梁には含まれていない。2010年11月13日撮影。撮影地 苫小牧市字錦岡

双葉三条通で最後に4車線化された区間は1996年1月に測量が実施され、2000年5月から2001年3月まで路盤工事を行いました。供用開始の際、終点位置が移動しました。図1の初期画面は縮尺が大きいため、単にB地点としてあります。終点を拡大した地図▲で見ると、元の終点位置はD地点にありました。青色で囲んだ区域が、移管された範囲です。この結果、道道と市道は重複しなくなりました。

なお終点より先、白老町を経由して登別市に至る「道道苫小牧登別線」構想があります。国道を補完し、防災上の役割を担う路線と位置づけ、苫小牧市と白老町が北海道へ要望しています。整備に多額の費用を要することやルート選定・財政上の問題があり、実現は不透明です。

「苫小牧登別線」とは別に、苫小牧市は都市計画道路「美沢錦岡通」の一部を苫小牧環状線に編入するよう北海道へ要望しています。「美沢錦岡通」は沼ノ端で一般国道36号より分岐し、住宅地の北端を通って錦岡地区に至る約 21.5km の路線です。途中、道央自動車道の仮称・苫小牧中央インターチェンジ付近を経由します。既存の道路を拡幅整備するほか、新規に建設する区間も存在します。苫小牧市が 3.6km を2車線で新規建設・供用したほかは未着手です。1958年3月26日の都市計画決定から半世紀を経ています。

こちらも多額の事業費がかかるため、見通しは立っておりません。

計画

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真F・2008年7月11日撮影。計画上は覚生川通に立体交差を設け、一般国道36号まで結ぶことになっている。覚生川通も2車線のままだ。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、50%に縮小。元画像の縮尺は2万分1。

道路現況調書のデータを見ると、終点を現在地へ変更した1990年以降、未供用延長が 609m 存在します。結論から述べると、一般国道36号交点までの区間です。

2000年11月13日の白老町議会・決算審査特別委員会の席上、当時の土木課長は次の答弁をしています。

…双葉三条線ありますけども、駒沢大学の前の通り、今整備進めておりますが、あれも高架で36号線につなぐ予定になってます。……それが、北海道側としてはまず優先。その整備完成までに5~6年は掛かるだろうと道では言っております。…

現在の終点で交差する道路は、覚生川通という苫小牧市の都市計画道路です。国道交点から苫小牧アルテン入口まで、約 2,520m の延長があります。幅員の規格は 30m です。

北海道が作成した2018年3月31日現在の都市計画道路現況調書による、覚生川通の延長内訳を表にします。延長の単位はメートル。

道路種別計画概成済改良済舗装済
一般道道62031000
市町村道1,90001,8101,810
道路種別立体交差
箇所幅員延長完成
箇所延長
一般道道1254000

道道の現終点と国道交点の間が、道道として計画されていることは明らかです。立体交差の延長が短いのは、アプローチ部分を含んでいないからです。

さらに苫小牧市の都市計画図を見ると、JR線の北側で覚生川通の幅員が広がっています。取り付け道路を想定しているのでしょう。

以上の考察から、苫小牧環状線の終点予定地は国道交点といえます。ただし2018年度末現在、未供用延長の区域は告示されていません。立体交差の計画が進んでいないためです。

関連する告示(道道苫小牧環状線)

1990年3月19日北海道告示第340号(道路の区域の変更)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
苫小牧市字錦岡354番23地先から
苫小牧市字錦岡354番24地先まで
16.00m から 21.20m まで21.00m
苫小牧市字錦岡354番23地先から
苫小牧市字錦岡536番37地先まで
15.00m から 64.28m まで3,297.00m
告示注
  • 終点を図1▲のC地点からB地点へ変更した。
  • 区画整理事業により1993年11月1日から、字錦岡の一部が「のぞみ町1~3丁目」「美原町1~3丁目」「明徳町1~4丁目」「青雲町1~3丁目」「宮前町1~5丁目」「もえぎ町1~2丁目」に分割された。
2002年2月1日北海道告示第163号(道路の区域の変更及び供用の開始)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
苫小牧市字錦岡521番231地先から
苫小牧市字錦岡536番37地先まで
前115.00m から 36.00m まで420.00m
同上前236.00m から 45.60m まで398.80m
同上後236.00m から 45.60m まで398.80m
告示注
  • 1の区域と2の区域は重なっている。違いは中心線の位置で、前者は2車線幅を、後者は4車線幅を基準にしている。
  • 覚生川通と重複する青色で囲んだ区域▲のほか、前1に含まれる区域の一部を苫小牧市へ返還した。
参考文献
  • 『十年史』(北海道苫小牧南高等学校。1986年10月発行)
  • 『苫小牧市史(追補編)』(2001年3月25日発行)
  • 錦岡地区で実施した「まちかどミーティング」における、苫小牧市側の回答(2008年3月末時点)
  • 苫小牧市議会の議案書・議事録
  • 白老町議会の議事録

2018年2月中旬・doradounaiさん撮影。桜木町3丁目から終点までと、覚生川通を国道交点まで。

苫小牧シリーズ
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