駅前通と支笏湖への道

副道と本通

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苫小牧停車場線が現在のルートになったのは、1980年です。それまでは、1本西側の通りが道道でした。

旧苫小牧駅は、現在の駅前交番が建つ場所にありました。最晩年の航空写真が写真G▼です。

一度だけ旧駅舎に入ったことがあります。10万人台の都市を代表する駅としては非常に小さく、待合スペースが狭かったのを覚えています。いまあるJR北海道の駅では外観こそ違いますが、名寄駅がイメージ的に一番近いでしょう。現在の駅舎は1981年9月に着工し、1982年10月1日より使用開始しました。駅の移動に先立って、駅前通が移動したのです。

図1について
  • ズームアウトは初期画面より1段階まで。
  • 赤・紫の線と青で囲んだ区域は、地図とラベルで表示されます。

図1・苫小牧市中心部の地図。赤い線は苫小牧停車場線の旧ルート。紫の線は、一般国道276号が国道に昇格する前のルートを表す。青で囲んだ区域は1996年に道道へ編入。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 苫小牧駅を拡大国道276号旧ルート緑町踏切跡を拡大初期画面を表示

現ルート上は1960年代まで、写真A▼のように王子製紙の社宅が並んでいました。平屋の四軒長屋です。初期の苫小牧市街地を形成する一角でした。

苫小牧駅と一般国道36号を直結する道路は1本しかなく、しかも支笏湖へのルートをも兼ねていたため、交通量は増大する一方でした。1964年、苫小牧駅通り近代化協議会が苫小牧商工会議所へ要望書を提出します。その中に「駅前副道」構想が含まれていました。駅北口開設運動も、このころ起こっています。具体化するのは「駅前土地区画整理事業」が着手された1970年からです。このとき社宅街は、ほぼ更地になっていました。1975年秋撮影の空中写真▼では、駅前ターミナルを除き完成しています。

写真1。旧駅前通。
写真1。道道苫小牧停車場線の旧ルートは、現ルートより一本西側の通りである。1967年2月まで、支笏湖への玄関口をも兼ねていた。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市旭町3丁目
写真2。JR苫小牧駅。
写真2。現在の苫小牧駅は1982年に完成した。この西側に旧駅舎があり、道道苫小牧停車場線の起点があった。1996年、駅前広場は道道に編入された。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市表町6丁目
旧駅前通の標識を再現してみた。
国道交点に設置されている案内標識は、ローマ字表記のない旧式。※見た目をそのまま再現してはおりません。

旧ルートは市道へ移管されました。「駅前西通線」とする予定だった路線名は、1980年7月2日認定で「駅前本通線」に変更されました。1980年6月開会の市議会で、当時の助役は「商工会議所を通して商店街の意向を聞いた」結果を尊重したと答弁しています。

1996年3月に、南口の駅前広場が道道へ編入されました。1997年度から1999年度まで、電線の埋設・歩道のレンガ舗装・デザイン照明灯設置等の景観整備が、8億5,000万円を投じて行われています。

2万5千分の1地形図「苫小牧」(昭和46年修正測量)を約1.3倍に拡大。
図2・2万5千分1地形図「苫小牧」(1971年修正測量)。
2万5千分の1地形図「苫小牧」(昭和58年修正測量)を約1.3倍に拡大。
図3・2万5千分1地形図「苫小牧」(1983年修正測量)。
2万5千分の1地形図「苫小牧」(平成19年更新)を約1.3倍に拡大。
図4・2万5千分1地形図「苫小牧」(2007年修正測量)。

苫小牧駅周辺の変化を表したのが図2~図4です。図2は駅前土地区画事業が始まった頃で、廃止された緑町踏切が描かれています。図3は現駅舎完成直後で、北口の整備は遅れていました。王子製紙の貯木場は変わりません。図4では旭大通アンダーパスが完成し、交通網が変わりました。その後、JRの北に沿って西進する市道も開通しています。

図2~図4はいずれも、約1.3倍に拡大しました。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真A・1966年9月2日撮影。表町1丁目に王子製紙の社宅が見える。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真B・1970年5月16日撮影。社宅群が解体された。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・角度を補正し、80%に縮小。元画像の縮尺は2万分1。

シンボルストリート整備事業

写真3。市営バス時代の駅通りバス停。
写真3。旧道道の駅前本通線にある、苫小牧市営バス・駅通りバス停。前方に表町パーキングと、ダイエー苫小牧店だった苫小牧駅前プラザegaoが見える。旧道道の沿線は、空き店舗・空きビルが散見される。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市表町3丁目

写真C。道南バス移譲後の駅通りバス停。表示が「市営バス」から「道南バス」に変わっている。

旧道道沿線の商店街を活性化する目的で1991年9月2日に着工し、1994年12月10日に完成しました。電線類を地下に埋設したほか、歩道の舗装に御影石を用い、「波・風・工業・白鳥」などをデザインした車止め・照明灯を配置するものでした。

駅前本通は歩きやすい街路になりました。一方で、空き店舗・空きビルが散見されるのも事実です。

苫小牧市は道内でも数少ないバス事業を持つ自治体でした。赤字が続き、2012年度より道南バスに経営が移譲されています。

関連する告示(道道苫小牧停車場線)

1980年7月17日北海道告示第1860号(道路の区域の変更)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
苫小牧市王子町1番地先(国鉄用地界)から
苫小牧市錦町15番地先(一般国道36号交点)まで
前118.18m から 18.18m まで814.98m一般国道36号重複 L = 17.00m
苫小牧市表町6丁目5番8地先から
苫小牧市表町1丁目2番2地先(一般国道36号交点)まで
前227.00m から 44.02m まで721.25m一般国道36号重複 L = 19.53m
同上後227.00m から 44.02m まで721.25m一般国道36号重複 L = 19.53m
告示注
  • 駅前通を現ルートへ切り替えた。
  • 旧ルート(前1)は町名改正前の地番で表記しており、終点の「錦町」は「表町」の誤りと思われる。住居表示整備事業で、表町(おもてまち)は1~6丁目に、王子町(おうじまち)は1~3丁目に分割され、1977年11月1日より施行された。錦町(にしきまち)は1970年7月1日より1~2丁目に分割された。
  • 前2・後2区域の「表町6丁目」は「表町5丁目」の誤りと考えられる。
  • 現ルートは、1980年6月30日の北海道告示第1697号(道路の区域の変更及び供用の開始)により編入された。
  • 認定時とは全面的にルートが異なる道道の一つである。
1996年3月29日北海道告示第442号(道路の区域の変更)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
苫小牧市表町5丁目5番8地先から
苫小牧市表町5丁目5番5地先まで
27.00m から 38.50m まで45.00m
苫小牧市表町6丁目19番8地先から
苫小牧市表町5丁目5番5地先まで
27.00m から 147.00m まで100.00m
告示注
  • 南口駅前広場を編入した告示で、最大幅員が広くなっている。

踏切から跨線橋・アンダーパスへ

苫小牧市内に限ると、一般国道276号の前身は苫小牧支笏湖線という一般道道です。現在のルートに変わったのは1967年2月末からで、それまでは苫小牧駅を経由し、緑町(みどりまち)踏切で室蘭本線と交差していました。図1▲図2▲でも分かるように、駅構内は近い。遮断機の下りる時間は長く、慢性的な渋滞を招いていたと想像されます。

抜本的改善策として1962年、緑跨線橋を建設する構想が明らかになりました。1965年度には完成し、1967年2月28日より現ルートへ切り替わります。同時に、周辺住民に存続の声もあった緑町踏切は廃止、踏切跡の東側に地下歩道が設置され、1972年12月20日より供用を開始しました。

1980年代から都市計画道路・旭大通が整備され、1986年に旭大通アンダーパスが開通しました。

図1▲のH地点からI地点まで、約 303m の市道は「旧支笏湖道線」の路線名が付いており、図6▼からも、より駅のそばを経由していた時代があったと分かります(注1▼)。

なお緑跨線橋は交通量増大と老朽化のため、架け替え工事が行われています。

2万5千分の1地形図「苫小牧」(平成19年更新)を約3倍に拡大。
図5。緑町踏切跡と緑跨線橋の中間に地下歩道が設けられた。2万5千分1地形図「苫小牧」(2007年更新)を約3倍に拡大。
写真4。緑町踏切跡。
写真4。緑町踏切の跡。交通の要衝だった面影は見出せない。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市緑町5丁目
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真D・1966年9月2日撮影。建設が進む緑跨線橋と緑町踏切。中央左から右下へ、日高本線の旧線跡が見える。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真E・1970年5月16日撮影。踏切は廃止され、緑跨線橋は国道に昇格した。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・角度を補正し、80%に縮小。元画像の縮尺は2万分1。
5万分の1地形図「苫小牧」(昭和28年第2回修正測量)を約1.3倍に拡大。
図6・5万分1地形図「苫小牧」(1953年第2回修正測量)。
5万分の1地形図「苫小牧」(昭和43年編集)を約1.3倍に拡大。
図7・5万分1地形図「苫小牧」(1968年編集)。
5万分の1地形図「苫小牧」(平成5年修正)を約1.3倍に拡大。
図8・5万分1地形図「苫小牧」(1993年修正)。

支笏湖へのルート変遷を表したのが図6~図8です。図6は室蘭本線の北側は家屋が少なく、緑町踏切の位置と日高本線の分岐点が異なります。図7は緑跨線橋の完成直後で、王子製紙の社宅街が中心部に残っていました。図8では双葉三条通(苫小牧環状線)・旭大通など、都市計画道路が整備され、苫小牧駅周辺に商業施設が集まっています。

図6~図8はいずれも、約1.3倍に拡大しました。

注1

苫小牧市道旧支笏湖道線は路線番号が91。1950年代の認定と推測され、同時に支笏湖を結ぶルートが切り替わったようだ。

旭大通アンダーパスアンダーパス開通に伴う線形変更と路線網再編のため、1987年10月2日付で廃止・再認定されている。この際、総延長が 127m 短縮された。

苫小牧支笏湖線の起終点

苫小牧支笏湖線は別表のように、起点を1回・終点を2回変更しました。

認定当初は、苫小牧駅前と支笏湖公園線を結ぶ路線でした。1963年に起点を一般国道36号交点へ変更したのは、緑跨線橋建設を見越してのことでしょう。このため一時期、苫小牧停車場線のほぼ全区間と重複しました。さらに終点を、千歳市幌美内まで延長しました。未開通だった支笏湖畔有料道路を路線に組み込んだのです。

1965年には、終点を千歳市丸駒温泉へ延長します。これは、丸駒札幌線が主要道道札幌支笏湖線へ昇格したのに伴い、対象から外れた幌美内と丸駒温泉間を編入したものです。先の幌美内までの延長が、主要道道昇格を見据えていたといえます。

1970年に単独区間の大半が一般国道276号へ昇格し、廃止後の単独区間は丸駒線となりました。道路現況調書によれば、廃止時の総延長 39,488m のうち、重用延長は 36,760m ありました。単独区間の割合は 6.9 パーセントに過ぎません。

別表 告示に見る道道苫小牧支笏湖線
告示年月日告示の番号告示の標題起点終点
1954年3月30日第503号道道の路線の認定苫小牧市表町(道道苫小牧停車場線交点)千歳郡千歳町(道道支笏湖公園線交点)
1963年10月23日第2335号道道の路線の変更苫小牧市(1級国道36号線交点)千歳市支笏湖畔ポロピナイ
1965年4月1日第625号道道の路線の変更苫小牧市(一般国道36号交点)千歳市支笏湖畔丸駒
1972年2月4日第315号道道の路線の廃止(同上)(同上)
写真5。市道になった日高本線旧線跡。
写真5。前方に見える道が、JR日高本線の旧線跡である。室蘭本線より分岐した線路は、右カーブから一直線に海岸を目指していた。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市若草町5丁目
写真6。かつては支笏湖へのメインルート。
写真6。旧道道苫小牧支笏湖線。閑静な住宅街の中を、支笏湖へ往来するクルマが行き交っていたとは想像できない。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市緑町1丁目

関連する告示(道道苫小牧支笏湖線)

1967年2月28日北海道告示第315号(道路の区域の変更及び供用の開始)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
苫小牧市錦町18番10地先(一般国道36号線交点)から
苫小牧市木場町9番地先まで
前17.27m から 18.18m まで2,463.70m道道苫小牧停車場線重複 L = 803.50m
苫小牧市字中野81番地先(一般国道36号線交点)から
苫小牧市木場町9番地先まで
前236.00m から 36.00m まで1,335.89m
同上後236.00m から 36.00m まで1,351.50m
告示注
  • 現ルートへ切り替えた告示である。
  • 告示に、一般国道36号との重複延長は記載されていない。
  • 緑跨線橋経由は、1964年4月22日北海道告示第963号(道路の区域の変更)で編入された。
  • 告示の「木場町」は、現在の春日町3丁目にあたる。この一帯は、1964年と1982年に大規模な町の区域変更が実施された。
  • 告示は「字中野」が「中野町」になっている。字中野は区域が広く、現在の音羽町・三光町・末広町・若草町・新中野町・元中野町・船見町・入船町・汐見町・港町(みなとまち)・一本松町・晴海町・真砂町の全部または一部が含まれる。1964年から1975年にかけて、順次分割された。

大型店の進出と撤退

1970年代初めころまで、苫小牧駅南口周辺は昔ながらの商店街が形成されていました。1952年12月7日開業の鶴丸百貨店が、最も大きな店舗でした。なお鶴丸百貨店は、2002年10月31日限り閉店しています。

駅南口の区画整理・再開発と合わせ、商店街の近代化が図られます。苫小牧駅周辺に進出した大型店を表にします。

別表 苫小牧駅周辺の大型店
名称開店日閉店日経緯と状況
長崎屋苫小牧店1973年10月27日1998年3月6日、現在地へ移転。2010年7月2日、業態変換してMEGAドン・キホーテ苫小牧店となる。旧店舗は改修し、家具店・パチンコ店・場外馬券発売所・ゲームセンター・薬局などが入居する「トマモール」として営業。老朽化のため2015年11月に閉鎖、その後解体された。マルハンが店舗を建設する予定である。
ダイエー苫小牧店(サンプラザ)1977年11月1日2005年11月30日2006年3月17日より、「苫小牧駅前プラザegao」となった。ダイエー時代から営業を続けるテナントもある。6階には、苫小牧市役所の駅前証明取扱所が入居。核テナントだったラルズマート苫小牧駅前店が2013年4月30日閉店し、後継テナントも現れなかった。
その後経営が行き詰まる。2014年4月7日、経営側は破産を通告。テナントは移転先が決まるまで自主営業し、egaoは同年8月31日に閉鎖された。経営側は4月に自己破産を申請するも、手続き費用が納付できず一旦取り下げ、7か月後に改めて申請した。市は再開発を前提に民間へ譲渡する方針を立て、破産手続開始決定にこぎつけた。しかし、無償譲渡したい市と一部地権者との折り合いがつかず、2019年7月現在でビルは解体されていない。駅との連絡通路は2018年度に撤去された。
イトーヨーカドー苫小牧店1978年6月6日2010年1月11日新たなテナントを探すも現れず、不動産会社が2011年9月に購入。宅地化を前提に更地とした。その後2014年にベガスベガスへの賃貸が決まり、同年12月28日より苫小牧店がオープンした。
丸井今井苫小牧店1995年9月1日2005年10月23日後継として2006年11月23日開店したゼウス・シティも、2008年4月30日に閉店した。札幌の建設コンサルティング会社による、データセンター改装計画も頓挫。2012年に苫小牧市の社会福祉法人が土地を取得し、店舗跡は解体。2014年11月1日、高齢者向け複合施設ふれんどを併設したテナントビルが開業した。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真F・1975年9月28日撮影。苫小牧停車場線の現ルートは駅前部分を除き完成していた。北に見えるのは長崎屋苫小牧店で、1973年にオープンした同店は異彩を放っていた。市営バスターミナルの完成は1978年である。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・50%に縮小。元画像の縮尺は8千分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真G・1981年10月27日撮影。新駅舎が着工された頃。イトーヨーカドーとダイエーが進出し、大型商業施設が駅周辺に集まった。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万分1。

1970年代後半から1980年代まで、苫小牧駅周辺は集客力があり、駅を南北に行き交う人でにぎわいました。

現在は、明野地区・柳町3丁目に2005年4月23日開店したイオンモール苫小牧に奪われてしまいました。また郊外型スーパーも多数あり、苫小牧駅周辺は寂しさを増しています。

苫小牧駅移転時にオープンした「苫小牧ステーションビルエスタ」も空きテナントが目立つようになり、売り上げ減少と老朽化のため、2016年3月限りで閉店しました。

各店の進出とその後

長崎屋

長崎屋苫小牧店が最初に出店した場所は、株式会社岩倉組の木材工場跡です。苫小牧進出を図る長崎屋と、跡地利用を検討していた岩倉組の意向が一致しました。売り場面積は9,900平方メートルで、開業当時は道内最大級の規模でした。

1990年9月5日、道路を挟んだ西側に全天候型の遊戯施設「ファンタジードーム」がオープンします。長崎屋の子会社が経営にあたるも振るわず、1998年1月15日限りで閉鎖し、長崎屋苫小牧店をドームに移転させました。

ダイエー

駅南口では商業ビルを建設し、大型店を誘致する構想が進められていました。ダイエーの誘致は1975年12月に決まり、正式に発表されたのは1976年3月10日です。同年4月、ビル名は「サンプラザ」に決まります。管理運営する、株式会社サンプラザも設立されました。

売り場面積は当初計画の約4分の3となったものの1万7,432平方メートルに達し、胆振・日高地方で最大規模でした。開業日の来店客は6万5,000人といいます。1998年にはビルを改装しました。ダイエーは本体の経営悪化から撤退し、サンプラザはテナントを入れ替えて経営を続けたものの、2014年8月31日で閉鎖し、空きビル状態となっています。

苫小牧駅と長崎屋・トマモールを結ぶ連絡通路は1990年8月30日に供用を開始し、同年12月6日にサンプラザビル側へ延伸されました。一方、結ばれなかったのがイトーヨーカドーです。

イトーヨーカドー

イトーヨーカドーはダイエーと同時期に進出を計画し、1977年10月開店を目指していました。これに対し、大型店の規制を目的に設立された苫小牧商業活動調整協議会は、開店を1978年5月と決定します。売り場面積は、当初計画の約6割にとどまる1万3,500平方メートルとしました。その後、1万7,200平方メートルに拡張されています。順調に推移していた売上高は21世紀に入って悪化し、ピークだった1992年の97億円と比べ半分以下に減少しました。経営合理化を進めるセブン&アイ・ホールディングスは、苫小牧店を不採算につき閉鎖する方針を決め、31年半の歴史に幕を下ろしました。

イトーヨーカドー閉店の模様は、gajousanさんのブログ・さようならイトーヨーカドーに詳しく紹介されています。

丸井今井

1993年に苫小牧駅東側の旧国鉄用地を取得し、苫小牧進出を表明したのが丸井今井です。

市場調査に2年を費やし、都市型百貨店のないことが進出の決め手となりました。地上5階建て、売り場面積1万5,500平方メートルで、1994年8月29日に着工しました。苫小牧駅とも通路で結ばれ、開店から3日間で10万人を超える来店客を記録します。しかし、売り上げは1年目から目標を下回るなど低迷し、丸井今井本体の経営危機による再建策として、苫小牧店閉店が決まりました。

飽和状態にあった駅前に丸井今井が進出したのは、無謀だったと思えてなりません。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真H・1996年9月12日撮影。長崎屋・ファンタジードーム・イトーヨーカドー・ダイエー・丸井今井がそろい、苫小牧駅周辺の大型店はピークを迎えていた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万5千分1。
参考文献
  • 『苫小牧市史 下巻』(1976年3月31日発行)
  • 『苫小牧市史年表』(苫小牧市史別巻。1977年3月31日発行)
  • 『苫小牧市史(追補編)』(2001年3月25日発行)
  • 『北海道新聞』(1964年4月23日付)
  • 『苫小牧民報』(1962年11月12日付・2006年3月17日付・2009年6月12日付・2010年1月11日付・2011年9月22日付・2011年12月15日付・2012年4月5日付・2012年8月1日付・2013年3月11日付・2013年5月1日付・2015年7月20日付・2016年2月16日付・2017年2月10日付・2018年10月22日付・2018年11月5日付)
  • 『橋梁、トンネル、立体横断施設、覆道等現況調書』(北海道開発局。2008年4月1日現在)
  • このほか、苫小牧市議会の議案書・議事録を参照しました。
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