苫小牧港をめぐる鉄道・前編

はじめに

苫小牧港に存在した専用線は、大きく3路線に分けられます。

本稿では各路線ごとの歴史・各種データを記述します。

苫小牧港開発株式会社臨海鉄道

年表と小史

1963年に開港した苫小牧港は1966年以降、造成された石油基地や臨海工業地帯に企業が相次ぎ進出します。製品や原材料・石油を輸送するため建設されたのが臨海鉄道です。旧国鉄が1億5,000万円を出資したほか、石油・石炭会社なども出資しました。借入金と合わせ、建設に約15億円を投じています。

1968年5月末に申請した事業免許は、8月6日の運輸審議会で認められました。6月末にも免許が取得できると予想していた審査に時間を要したため、同年10月の開業予定が遅れています。

工事認可から2週間で、専用線を含めたレールを敷設しました。必要な資材は免許取得時までに調達済みで、事前に準備工事を行ってレールを敷設するばかりだったことが、突貫工事を可能にしました。運行要員は、国鉄や道内の私鉄出身者から確保しました。

表1 苫小牧港開発株式会社臨海鉄道年表
年月日できごと
1967年4月1日臨海鉄道敷設準備室設置。
1968年8月7日地方鉄道法に基づく免許を取得。
1968年11月11日軌道敷設工事着工。
1968年11月25日軌道敷設工事完成。
1968年11月28日試運転(29日まで)。
1968年12月3日新苫小牧-石油埠頭が開業。一本松駅も開設。
1969年7月15日港南駅を開設。
1979年7月1日港北駅を開設。
1986年7月31日港南幹線を一部廃止。
1987年3月31日一本松駅廃止。勇払幹線・一本松幹線廃止。
1987年9月1日港北駅・港南駅を無人化。
1994年3月31日港南幹線全線廃止。
1998年3月30日お別れ運転を実施。
1998年4月1日1年間の事業休止に入る。
1999年4月1日事業休止を1年間延長。
1999年10月軌道を約 7km 撤去。
2000年4月1日事業休止を1年間延長。
2001年3月31日事業廃止。
2001年10月31日軌道の一部撤去工事完了。
2001年12月24日港北駅の駅舎撤去工事が完了。
2003年12月10日港南・石油埠頭両駅舎の撤去工事完了。
2005年9月28日軌道施設の全撤去工事・処分が完了。
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図1。2万5千分の1地形図「勇払」(昭和58年修正測量。約1.1倍に拡大)。
図1・臨海鉄道の新苫小牧駅と苫小牧操車場。全国有数の貨物取扱量を誇った。2万5千分1地形図「勇払」(1983年修正測量)を約1.1倍に拡大。
図2。2万5千分の1地形図「勇払」(平成18年更新。約1.1倍に拡大)。
図2・操車場は貨物駅となり、規模が縮小した。国道周辺の宅地化は目覚ましい。2万5千分1地形図「勇払」(2006年更新)を約1.1倍に拡大。

起点は、苫小牧操車場に隣接した新苫小牧駅です。

開業時の途中駅は一本松のみでしたが、港北・港南両駅の設置も当初から計画されていました。

最盛期の延長は、本線 10.2km・構内側線 17.1km・専用幹線 7.7km・専用支線 16.1km です。専用支線の建設費用は、使用する企業が負担しました。沿線に立地したほとんどの企業が、専用支線の敷設を希望しています。

国鉄・JRと連絡運輸を行い、運賃は通算で計算しました。臨海鉄道内は営業キロではなく、擬制キロを採用しました。JRの地方交通線と同じです(表2)。年月日で始まる行が運賃換算キロで、相当な高負担であったことが分かります。

表2 苫小牧港開発臨海鉄道の営業キロと運賃換算キロ(単位はキロメートル)
駅名一本松港北港南石油埠頭
営業キロ1.22.86.110.2
1968年12月3日3.021.0
1969年7月15日3.013.021.0
1974年5月24日5.025.041.0
1976年1月2日7.033.056.0
1979年7月10日7.016.033.056.0

開業前に、1969年度は合計67万トン(うち石油類47万トン)、1970年度は99万トン(同じく60万トン)、1973年度は180万トン(同じく100万トン以上)の輸送量を見込んでいました。

しかし、実際の輸送量は遠く及びませんでした(表3)。石油類が100万トンを超えたのは、1976年度だけです。合計でも、同年度の167万7,000トンが最高でした。1979年度まで150万トン台を保った合計輸送量は下降線をたどり、1984年度に100万トンを切って80万トンにとどまり、1986年度には50万トンを割り込みました。1990年度からは20万トン台で推移し、1997年度は12万3,452トンまで落ち込みました。売上高が10億円を超えたのは、1978年度から1981年度の4年間です。1997年度は1億700万円で、約10分の1まで減少しました。歩調を合わせるように、ピーク時は104人を数えた臨海鉄道の要員が、休止時は10人まで削減されました。

表3 苫小牧港開発臨港鉄道の輸送量(主な年度のみ掲載。単位は万トン)
年度石油類飼   料肥   料硫   酸鉄くず液体ガス硫化鉱塩   素空タンクその他合計
196934.35.52.64.62.449.4
197047.80.97.73.08.21.569.1
197162.311.39.03.03.410.31.9101.2
197273.713.28.66.86.02.71.612.82.0127.4
197381.210.37.510.23.42.21.714.02.2132.7
1976110.614.07.77.11.73.33.017.42.9167.7
197994.217.49.39.61.12.34.815.92.4157.0
198365.57.71.48.90.92.67.913.11.9109.9
198449.60.38.30.52.86.411.20.980.0
198536.10.25.80.32.86.68.70.561.0
198634.71.10.95.57.00.449.6
198730.00.85.06.30.242.3
199317.10.22.33.01.023.6
199616.21.32.61.020.1
19979.61.01.712.3

廃止に至った原因として、以下の要素が考えられます。

  • 合理化による貨物取扱駅の削減・集約
  • 運賃の割高感
  • 自動車輸送への転換
  • 需要そのものの減少

輸送量減少で要員の人件費すら確保できない状況に陥り、1998年3月末で休止の措置を取ります。休止の間、鉄道貨物の需要創出に努めたものの見通しが立たず、2001年3月末で事業廃止に踏み切りました。跡地は順次分譲されています(表4)。

表4 苫小牧港開発臨海鉄道の跡地分譲(面積の単位は平方メートル)
年月日面積備考
2000年7月1,743.22道栄荷役株式会社へ分譲。
2000年9月9,708トヨタ自動車北海道株式会社へ分譲。港南駅付近とみられる。図6▼を参照。
2001年12月19日6,578.10勇払埠頭幹線道路拡幅のため、苫小牧港管理組合へ分譲。
2001年12月1,147日石三菱株式会社(現・JXTGエネルギー株式会社)へ分譲。石油配分基地内。
2002年12月9,257苫小牧埠頭株式会社へ分譲。石油配分基地内。
2004年3月26日6,121.02トヨタ自動車北海道株式会社へ分譲。港南駅付近とみられる。
2004年9月2日1,114勇払埠頭幹線道路工事のため、苫小牧港管理組合へ分譲。面積は送電線用地の一部を含む。
2006年12月2日69,734出光興産株式会社へ分譲。面積は真砂団地の用地を含む。

一本松駅

本線上に駅舎がなく、最も早く廃止された駅です。新苫小牧駅を結ぶ区間列車1往復が設定されていました。

延長 856m の一本松幹線が分岐し、その先に専用支線がありました(表5)。

日之出化学工業は、臨海工業地帯で最初に進出した企業です。1964年より調査を始め、1967年2月に現地を視察、その場で進出を明言しました。同年8月10日に工場を着工し、操業開始は1968年2月5日です。リン鉱石から熔成リン肥を生産していましたが、1993年以降は工場機能を停止し、配送センターとなっています。

表5~表10の共通事項
  • 荷主の名称は廃止時のものとし、特記事項がある場合は、備考欄を設けて記した。
  • 延長の単位はキロメートル。
表5 一本松幹線の専用支線
荷主延長支線開通支線廃止輸送品目
日之出化学工業株式会社1.31968年12月3日1987年3月31日肥料
芽室町農業協同組合0.41970年12月19日1986年7月31日肥料
図3。2万5千分の1地形図「勇払」(昭和58年修正測量。約1.1倍に拡大)。
図3・踏切で交差していた一本松幹線。跨線橋を過ぎると港北駅である。河道跡が確認できる。2万5千分1地形図「勇払」(1983年修正測量)を約1.1倍に拡大。
図4。2万5千分の1地形図「勇払」(平成18年更新。約1.1倍に拡大)。
図4・室蘭本線北側と日高本線東側の宅地化が進み、工場の数も増えている。港北駅の専用幹線跡は道路に取り込まれた。2万5千分1地形図「勇払」(2006年更新)を約1.1倍に拡大。

港北駅

最も遅く、1979年7月1日に開業した駅です。新苫小牧駅を結ぶ日曜運休の区間列車が、休止まで1往復設定されていました。

延長 443m の港北幹線が分岐していました。

専用支線のうち最後まで残った貨物が、北海道曹達から日本甜菜製糖株式会社芽室製糖所へ発送した化学薬品でした。休止時の輸送量は年間1万トン弱、売上は600万円ほどです。臨海鉄道の休止は、北海道曹達の了承を得た上で決まりました。

東北・関東方面へ輸送される塩素は、青函連絡船を利用していました。ところが1988年3月開通の青函トンネルは、危険品である塩素の通過を認めていないため、JRだけで道外へ輸送できなくなったのです。関東方面は一足先に1984年2月から、東北方面も連絡船廃止時に、塩素運搬船で輸送するようになりました。

営業最終日の港北駅。踏切の警報機・遮断機は、既に作動していなかった。

表6 港北幹線の専用支線
荷主延長支線開通支線廃止輸送品目
北海道曹達株式会社不明1979年7月10日1998年3月31日液体塩素苛性ソーダー
岩倉化学工業株式会社不明1981年10月1日1997年9月30日塩素酸ソーダー
オージー化学工業株式会社不明1981年10月1日1997年9月30日溶剤用空缶

港南駅

唯一、2本の専用幹線が分岐する駅です。

南方へ延長 2,513m の勇払幹線が、西方へ延長 2,577m の港南幹線が分かれていました(表7・表8)。

飼料の大半は、旭川の近文・帯広のホクレン工場へ発送され、肥料は農協向けに発送されました。度重なる運賃値上げと、自動車輸送への要望増加が輸送量に影を落とします。1979年をピークに減少、数年で扱いが途絶えました。1984年から1987年にかけて、8支線が相次いで廃止されます。

危険品の硫酸は鉄道が利用され、1973年に最高の輸送量を記録しました。発送先で硫酸以外の原料を使うようになった1985年以降、輸送量は急激に下降線をたどります。函館本線豊沼駅の三井東圧化学砂川工場(現・北海道サンアグロ株式会社砂川工場)など専用線の廃止もあり、1994年に貨車輸送は中止され、全面的に自動車輸送へ切り替わりました。この時点で事実上、港南駅は機能を失ったといえましょう。

新苫小牧駅を結ぶ1往復だった区間列車は晩年、石油埠頭駅を結ぶ1往復となりました。

表7 勇払幹線の専用支線
荷主延長支線開通支線廃止輸送品目備考
菱北化成株式会社1.51969年7月15日1987年3月31日肥料2002年3月、ホクレン肥料株式会社に事業譲渡。
清水鋼鐵株式会社1.71970年12月21日1987年2月28日鉄くず開通当時の社名は清水製鋼で、1983年10月に現会社へ吸収合併された。
北海道共同石灰株式会社1.81974年1月18日1986年3月31日消石灰2009年4月1日、北海道石灰化工株式会社へ社名を変更。
セントラル硝子株式会社1.21976年8月31日1986年12月1日肥料
表8 港南幹線の専用支線
荷主延長支線開通支線廃止輸送品目備考
ホクレン農業協同組合連合会2.71970年12月7日1985年10月31日飼料
JX金属苫小牧ケミカル株式会社1.31972年6月14日1994年3月31日硫酸
北海道飼料株式会社2.61974年12月6日1984年3月31日飼料2002年3月に業務停止。資産は新北海道飼料株式会社が譲り受けた。
日東肥料化学工業株式会社1.31974年12月22日1986年7月31日硫安1992年7月、日東エフシー株式会社へ社名を変更。
ホクレンくみあい飼料株式会社2.71976年3月28日1984年5月31日飼料
図5。2万5千分の1地形図「勇払」(昭和58年修正測量。約1.1倍に拡大)。
図5・港南駅を南下する勇払幹線。西進する港南幹線で最初に分岐する専用線が、1994年まで残る。2万5千分1地形図「勇払」(1983年修正測量)を約1.1倍に拡大。
図6。2万5千分の1地形図「勇払」(平成18年更新。約1.1倍に拡大)。
図6・トヨタ自動車が港南駅西方の用地を取得したのは1991年で、翌年に最初の工場が完成した。2万5千分1地形図「勇払」(2006年更新)を約1.1倍に拡大。

石油埠頭駅

図7。2万5千分の1地形図「勇払」(昭和58年修正測量。約1.1倍に拡大)。
図7・石油埠頭駅を中心に東へ分岐する専用支線が出光興産、西へ分岐する昭和・丸善石油。石油幹線は西進し石油配分基地へ向かう。2万5千分1地形図「勇払」(1983年修正測量)を約1.1倍に拡大。
図8。2万5千分の1地形図「勇払」(平成18年更新。約1.1倍に拡大)。
図8・線路が消え、出光製油所が拡張した以外に、大きな変化はない。2万5千分1地形図「勇払」(2006年更新)を約1.1倍に拡大。

図7・図8で大きなスペースを占めるのは、出光興産北海道製油所です。1961年6月に進出を決め、1971年7月に着工し、1973年10月1日より操業を開始しました。1日7万バーレルの精製能力があります。25万トン級のタンカーが接岸できるシーバース(海上桟橋)を沖合に設置し、原油輸入で苫小牧港の貿易額は大幅に増加しました。

石油精製・石油化学工業の誘致は北海道開発庁の『苫小牧臨海工業地帯造成計画の構想』(1957年10月)・『苫小牧臨海工業地帯造成計画』(1964年11月)で策定され、第2次港湾整備5カ年計画で閣議決定をみました。1965年4月より分譲を始めた石油配分基地は1966年12月に完成し、各石油会社が進出しました。5,000トン級の船舶が係留できる桟橋を備え、重油・ガソリンなどの石油製品が運ばれています。

駅から直接分岐する専用支線のほか、延長 1,135m の石油幹線が西方へ延びていました(表8)。図7では、石油幹線も民営鉄道の記号で描かれています。

石油輸送は臨海鉄道の主力でした。

けれども、当初予測の輸送量には届いていません。運賃値上げで鉄道離れが起き、タンクローリー車へ移行していきました。また1996年から石油各社の製品相互融通が実施され、物流効率化を図ったことも打撃を与えました。最後まで残ったコスモ石油による宗谷本線北旭川駅への発送も、室蘭本線本輪西駅の日本石油精製(現・JXTGエネルギー)室蘭製油所からの発送へ変更され、苫小牧の鉄道石油輸送に終止符を打ったのです。同時に、臨海鉄道の命運も断たれました。なお本輪西駅からの発送も2012年5月限りで終了し、船舶とタンクローリーによる輸送へ切り替えられています。

開業時は1日3往復、全盛期に1日6往復を数えた新苫小牧駅を結ぶ貨物列車は、1987年に休日運休の3往復、1994年以降は2往復となりました。1987年から1994年まで、港南駅との区間列車が休日運休で1往復運行されました。

表9 石油埠頭駅から直接分岐する専用支線
荷主延長支線開通支線廃止輸送品目備考
昭和シェル石油株式会社0.71968年12月3日1989年8月31日石油開通当時の社名は昭和石油。1985年1月、シェル石油と合併。別に、コスモ石油との共用線が 0.5km あった。2019年4月、出光興産と経営統合。
コスモ石油株式会社0.41968年12月3日1998年3月31日石油開通当時の社名は丸善石油。1986年4月、大協石油・旧コスモ石油と合併。別に、昭和シェル石油との共用線が 0.5km あった。2015年10月、持株会社体制へ移行。
出光興産株式会社1.71969年8月26日1987年9月30日石油・プロパンガス
表10 石油幹線の専用支線
荷主延長支線開通支線廃止輸送品目備考
ゼネラル石油株式会社0.71968年12月3日1985年7月31日石油2000年7月、東燃と合併して東燃ゼネラル石油株式会社となる。2017年4月にJXエネルギーと合併、JXTGエネルギー株式会社となる。
株式会社ジャパンエナジー0.91968年12月3日1997年12月31日石油開通当時の社名は共同石油。1992年12月に日本鉱業と合併して、株式会社日鉱共石が発足。1993年12月にジャパンエナジーへ社名を変更。2010年7月、日石三菱・新日本石油精製と合併してJX日鉱日石エネルギー株式会社となる。2016年1月、JXエネルギー株式会社に社名を変更。2017年4月に東燃ゼネラル石油と合併、JXTGエネルギー株式会社となる。
液化ガスターミナル株式会社1.11968年12月3日1987年2月28日プロパンガス開通当時の社名はブリヂストン液化ガスで、液化ガスターミナルは1981年12月に設立された系列会社。2012年4月、ENEOSグローブガスターミナル株式会社へ社名を変更。
日本オイルターミナル株式会社1.11968年12月3日1997年9月30日石油

1997年11月に撮影された最晩年の記録と休止後のレール。

冬の走行シーンや、機関車解体シーンが見られる。

苫小牧シリーズ